ケータイ辞書JLogosロゴ 大名倉村(近世)


愛知県>設楽町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国加茂郡,寛永18年からは設楽郡のうち。慶長7年作手【つくで】藩領,同15年幕府領,宝永5年相模小田原藩領,享保元年幕府領,同10年岡崎藩領,宝暦12年幕府領,享和3年陸奥磐城平藩領,文久2年幕府領,明治2年駿河静岡藩領,同年重原藩領。村高は,「寛永高附」24石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに40石余。安永7年には家数19・人数95であったが,天明の飢饉で寛政2年には家数13・人数61となった(北設楽郡史)。明和元年大洪水と山崩れで田畑は流され家屋は倒壊。氏神神明神社は建久元年の創建という。天文年間創建の臨済宗如是庵があったというが,廃寺の年代不詳。明治7年戸籍簿集計表によれば,戸数19・人数111,馬22,田2町6反余・畑4町2反余。同11年北設楽郡に所属。同22年名倉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355342
最終更新日:2009-03-01




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