ケータイ辞書JLogosロゴ 大和田村(近世)


愛知県>作手村

 江戸期〜明治22年の村名。設楽郡のうち。慶長6年幕府領,同11年新城【しんしろ】藩領,正保2年幕府領,慶安元年からは旗本菅沼氏知行。村高は,「寛永高附」54石余,「元禄郷帳」56石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに102石余。天明元年の割附状では,村高90石余,年貢米94俵余,茶年貢1両2分余,ほかに竹年貢が見える。寛永17年の茶改帳によると,2,354間・銭17貫354文の茶年貢が課せられ,近世初頭から茶の栽培が行われていた。山論は寛文11年彦坊山・浅間山をめぐり岩波村との間に起き,一時布里村普賢院の仲裁により内済したが,明治6年まで小論争が続く。嘉永7年の蓑着騒動には海老領内の村とともに参加。明治2年の伊那県騒動にも参加。同17年塩瀬郵便局が移転し,大和田郵便局となる。明治11年南設楽郡に所属。同22年市制町村制施行による大和田村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355462
最終更新日:2009-03-01




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