ケータイ辞書JLogosロゴ 岡山村(近世)


愛知県>吉良町

 江戸期〜明治22年の村名。幡豆郡のうち。慶長5年旗本吉良上野介知行,元禄16年幕府領,宝永2年からは旗本津田氏と旗本諏訪氏の相給。村高は,「寛永高附」367石余,「元禄郷帳」343石余,「天保郷帳」591石余,「旧高旧領」583石余。西尾藩領善明・室村方面の洪水が鎧ケ淵を奔流となって岡山・瀬戸・寺島・小牧方面に流れ下り農民が難渋するのを見かねて,貞享3年吉良上野介義央が黄金堤を築いた。この時,下流の村々の百姓が総出で作業にあたり,一夜で築いたというので別名一夜堤ともいう。臨済宗華蔵寺は,慶長7年吉良義安の子義定が花蔵寺野にあった廃寺を移して建立したといい,江戸期吉良氏6代の墓,義安・義定・義央の木像(義央像は県文化財),吉良氏の遺宝である百人一首手鑑,元禄時代風俗絵巻,白隠の書画,池大雅の襖絵(県文化財)などを所蔵する。本堂裏の枯山水の庭園は三河地方を代表する名園。また,華蔵寺の東に境内を接して同宗花岳寺があり,貞和3年金星山と称する真言宗の僧坊を東条吉良氏の祖吉良尊義が開山したといわれ,東条吉良氏の菩提寺で,家康の父広忠の親代わりとなった吉良持広の墓もある。吉良氏の遺宝である後柏原天皇宸翰(国重文),三十六歌仙絵巻,古今和歌集帳,白隠の書画,徳川家康・吉良氏書状などを所蔵する。5世良哉禅師は,近世臨済禅中興の祖白隠禅師下五傑の一人といわれた。浄土宗尭雲寺は,吉良義安夫人俊継尼の菩提寺。ほかに浄土真宗本願寺派正覚寺,鎮守八幡社がある。字殿町は吉良義定の邸跡で,のち陣屋となる。明治初期矢作古川に川船を浮かべ船紡績が試みられた。筍栽培が盛んで,筍は文政3年花岳寺証道禅師が京都から移植し(花岳寺日記目録),三河一円に広めたもの。花岳寺の寺子屋静山塾は明治9年岡山学校(花岳寺境内)となり,同20年代に寺島に移転して瀬門学校となる。明治11年尾崎新田を合併。同22年瀬門【せと】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355501
最終更新日:2009-03-01




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