ケータイ辞書JLogosロゴ 奥入鹿村(近世)


愛知県>犬山市

江戸期〜明治11年の村名尾張国丹羽郡のうち入鹿池東岸に位置する寛永年間入鹿村への入鹿池築造に伴い成立した新田の1つ地内には横穴式石室の十三塚古墳があり,多くの副葬品を出土はじめ尾張藩領,明治元年からは尾張藩と犬山藩の相給小牧代官所支配成瀬隼人正給知と蔵入地村高は,「天保郷帳」52石余,「旧高旧領」101石余「寛文覚書」によれば,元高52石余・反別5町余,家数12・人数73,馬3当村は入鹿杁へ御用人足を勤めるため,夫銀・堤銀・御鷹之餌犬代米などが免除されていた山間に位置するため山稼ぎが盛んで,山から採取したものは繰舟で川を渡された繰舟は栲舟とも書き,このあたりの河川があまりの急流で架橋できないため,川に綱を渡し,その綱をたぐって舟を渡した繰舟へは藩が代金を支給した明治6年入鹿学校が開校同11年池野村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355543
最終更新日:2009-03-01




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