ケータイ辞書JLogosロゴ 尾口(中世)


愛知県>大口町

 戦国期に見える地名。丹羽郡のうち。大久地とも書く。天正12年と推定される羽柴秀吉書状に「一当面楽田,尾口普請丈夫ニ申付,人数入置,無残所相動」とあり,犬山にあった秀吉は小牧に布陣する徳川家康に対して当地の防備を固めるよう津田盛月らに指示した(安井文書/大日料11-7)。ついで同年6月4日付秀吉書状によれば「尾口,羽黒,楽田と申三ケ所付城申付」と,当地ほかに付城を構え,2万余人の軍勢を配置した(諸将感状下知状并諸士状写/同前)。また,同年5月2日付秀吉判物には「従尾口西南儀者,成次第稲葉与州百姓被召出,可被仰付事」とあり,秀吉は斎藤家の老臣で美濃三人衆の1人稲葉一鉄に,尾口より西南地域の采配を預けている(池原平十郎氏所蔵文書/同前)。現在の大口町小口には織田与次郎信康の居城といわれた小口城跡が残る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355552
最終更新日:2009-03-01




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