ケータイ辞書JLogosロゴ 小田木村(近世)


愛知県>稲武町

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ三河国加茂郡,江戸前期からは設楽【したら】郡のうち。はじめ幕府領,元禄11年からは旗本一色氏知行。村高は,天正18年の検地で140石,「寛永高附」も140石余,その後の検地で寛永18年に10石余,寛文5年に5石余,元禄元年に1石余を加え,合計156石余となり,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに156石余。江戸期のある時期には小田木村と高田木村とに分村しそれぞれに庄屋が置かれていたことがあったが,詳しい年代については未詳。文化4年の高田木村の家数10・人数51,同7年の小田木村の家数53・人数222。人形浄瑠璃が行われ,神明神社の境内に舞台があり,秋祭りの行事として行われていたらしい。また,人形田と呼ばれる田があったが,これは芝居を上演する前に四国方面から師匠を招いて指導を受けた時に要する米を共同で生産した所といわれている。人形の頭の1つには「宝暦弐歳」と記されている。明治初年頃,上演されなくなってしまった。伊那街道に沿った村で,馬稼ぎの往来が多く,村内にも馬宿を営む家が数軒あった。明治5年に武節町村に開校した学校の第一分校が同7年に当村に開校し,翌8年に独立校となる。同11年北設楽郡に所属。同13年の家数78・人数405。同22年武節村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355626
最終更新日:2009-03-01




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