ケータイ辞書JLogosロゴ 乙之子村(近世)


愛知県>美和町

 江戸期〜明治22年の村名。海東郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに371石余,「旧高旧領」570石余。「寛文覚書」によれば,概高570石余・反別30町余,家数25・人数176,馬10。用水は宮田井懸り。「徇行記」によれば,給知と蔵入地からなり,給知高367石余,給人は平野又左衛門ら5人,戸数46・人数195,馬1。神守宿の助郷役を勤めた。10年ごとの割地慣行があり,畑作物では芋・青葱が良く穫れた。なお,大切戸新田の南に越石の地があり,それを占越と呼んだ。神社は貴船社(乙之子大明神)・神明社・山神社。寺院は真宗大谷派泉正寺。万延2年から泉正寺で寺子屋が開かれて,寺子は8人前後。明治7年の各業取調書によれば,七宝職5・せんべい職6。同15年の戸数人口反別地価等調帳(愛知図書館蔵)による戸数48・人口212。同22年篠田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355674
最終更新日:2009-03-01




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