ケータイ辞書JLogosロゴ 音羽郷(中世)


愛知県>音羽町

 室町期に見える郷名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。乙葉とも書く。応永10年8月日の八王子神社棟札銘に「三河国宝飯郡音羽郷長沢里」「檀那源則興」と見える(音羽町誌)。また宝徳元年12月25日の巓神社棟札銘に「宝飯郡内乙葉村巓大明神」「大檀那源朝臣教兼 奉行中安伊賀守興政」とあり,源則興・源教兼は当郷の領主で今川氏一族の関口氏という。郷内の長沢に松平氏が築城してからは長沢という呼び方が一般化した。江戸期の長沢村にあたる。なお,「承久記」に承久の乱の際三浦筑井高重主従19騎が京方に参じようとして上洛の途次,「音羽河の端に下立て」休息していたところ,東海道を攻め上ってきた幕府軍のうち遠江の住人内田四郎ら60余騎と合戦となり,筑井方全員が討死をした場所として見える。「承久兵乱記」には「おとがはといふ河ばた」とあって,合戦の場所が乙川であったように記すが,19騎の首を本野が原にかけたとする「承久記」の記述の方が合理的であり,音羽川が正しいだろう。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355679
最終更新日:2009-03-01




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