ケータイ辞書JLogosロゴ 小野浦村(近世)


愛知県>美浜町

 江戸期〜明治11年の村名。尾張国知多郡のうち。尾張藩領。横須賀代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに205石余,「旧高旧領」217石余。「寛文覚書」では,本田の概高210石余,反別24町余(田7町余・畑16町余),家数98・人数583,牛馬6,廻船9艘。「徇行記」では,全村蔵入地,家数191・人数760,廻船は800石積みから300石積みまで11艘,漁船15艘,イワシ網1帖,ヒシコ網3帖。廻船業が文化・文政年間に隆盛を極め,西は九州,東は釜石まで達している。江戸へは米や酒,瀬戸内からは塩,紀州からは薪などを運んだことが知られているが,中心は塩であったようである。曹洞宗良参寺があり,廻船業の隆盛を反映して文政元年建立の庫裏,弘化2年建立の本堂などが残り,境内には天保3年遠州灘で遭難した宝順丸(福島源六持船,1,500石積,14人乗り)乗組員の墓がある。乗組員14人のうち岩吉・音吉・久吉の3人はカナダに漂着し,のちにマカオへ渡って,イギリス人ギュッラフの聖書和訳を手伝っており,幕末の対外事情を知る資料となっている。明治11年野間村の一部となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355685
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ