ケータイ辞書JLogosロゴ 門内村(近世)


愛知県>幡豆町

江戸期〜明治11年の村名三河国幡豆【はず】郡のうち開戸村とも書く小野ケ谷川下流域に位置するはじめ相模甘縄藩領,慶安元年頃からはその分家の旗本松平氏(松平正朝系)知行村高は,「元禄郷帳」254石余,「天保郷帳」272石余,「旧高旧領」266石余なお,「寛永高附」には門内村の名は見えないが,比定地不明の負津村245石余があり,「ヲイト」と読みを振っており,貝津村の誤記ならば「カイト」とも読めるので,記載順も近隣村々とともに書かれていることも考えあわせると同帳の負津村は当村のことと推測される曹洞宗安泰寺は,永正10年欠村城主小笠原長重が菩提寺として開山永禄7年本堂再建時の棟札,家康寄進と伝えられる椰子実水飲・金紫銅之水容などを所蔵(社寺明細帳)明治11年西幡豆村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355783
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ