ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶ケ一色村(近世)


愛知県>西春町

 江戸期〜明治22年の村名。春日井郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」鍛冶一色村として563石余,「天保郷帳」でも563石余,「旧高旧領」748石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高747石余,田22町余・畑27町余,家数52・人数349,馬22。「徇行記」によれば,給知669石余で下条庄右衛門ら給人9,蔵入地78石余,家数98・人数408,馬8。天保年間と思われる村絵図では,幼川が東から西に蛇行し,流域には水損所や見取所が描かれている。神社は,神明・八幡・天神・天王,神明・天神の2社はのち明治9年八幡社に合祀。寺院は,曹洞宗雲太寺,本尊の阿弥陀如来像は6本指の仏像として有名。明治元年集中豪雨により幼川の堤防が決壊,村人により二重堤防が築かれた。物産表によれば,明治8年に小麦105石余・金367円余,大豆15石余・金75円余,綿2,624石余・金1,153円余とあり(西春町史通史編1),綿の占める割合が高い。同13年西春日井郡に所属。同22年上拾箇村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355855
最終更新日:2009-03-01




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