ケータイ辞書JLogosロゴ 梶島新田村(近世)


愛知県>立田村

江戸期〜明治11年の村名尾張国海西郡のうち木曽川下流左岸地名は,当地が木曽川と旧佐屋川の合流点に形成された砂州で,その形状が梶に似ていたことに由来するとも,当地が船頭の梶取りの目標になっていたことに由来するともいうもとは上立田村のうちであったが,「寛文覚書」「徇行記」ではともに上古川村のうちに記されるなお郷帳類では独立村と記される尾張藩領鵜多須代官所支配村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに16石余「寛文覚書」によれば,概高は16石余,梶島新田見取場5町余(田3町余・畑2町余)「徇行記」によれば,全村蔵入地,かつては大村であったが,佐屋川掘替えによって縮小され,人々は大森村・鯉ケ平村などに移ったという古堤上に神明社がある明治11年森川村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355859
最終更新日:2009-03-01




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