ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶屋村(近世)


愛知県>知多市

江戸期〜明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島北西部,伊勢湾に注ぐ日長川下流左岸に位置する中世には海が湾入しており,村名は,船鍛冶が定住していて造船の基地であったことに由来するが,近世になると大野鍛冶は出鍛冶を特色とするようになる尾張藩領横須賀代官所支配全村蔵入地村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに293石余,「旧高旧領」317石余「寛文覚書」によれば,本田の概高314石余・反別30町余(田19町余・畑10町余),新田概高8斗余・反別1反余,家数52・人数325,牛馬25曹洞宗定光寺は寺勢が盛んであったが,初代尾張藩主徳川義直を祀った寺と同じ寺号であったため,貞享2年瑞光寺と改称集落は寺を中心として発達し,道路も寺の西側を南北に通ずる道が主要路明治11年日長村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355876
最終更新日:2009-03-01




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