ケータイ辞書JLogosロゴ 片寄郷(中世)


愛知県>額田町

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。永徳2年8月22日の源信氏寄進状に,信氏(細川氏一族か)が拝領して知行していた「片寄郷」などの4か所を天恩寺領として弥天永釈に寄進したことが見える(永源寺文書/岡崎市史6)。片寄にある天恩寺は近江永源寺の開祖寂室元光を請じて応安2年に開創したと伝える臨済宗の寺で,弥天は2世だが実開山である。応永20年7月10日,同21年4月3日に幕府は天恩寺領のうち片寄郷を含む3か所の当知行を安堵している(同前)。下って,天正17年の家康による五か国検地の結果を書き上げた10月28・29日の天恩寺領検地帳が残り(天恩寺文書/岡崎市史6),それによると寺領は片寄村で田1町3段273歩,畠5町6段141歩,あわせて7町54歩,屋敷が19筆1,737坪。また同18年に豊臣大名池田輝政が行った太閤検地の片寄村検地帳及び名寄帳も現存する(同前)。9月18日付の検地帳と11月21日付の名寄帳ではいく分の相違があるが,名寄帳によれば,田1町3反2畝15歩で14石2斗4升,畠6町2反9畝15歩で64石9斗8升5合1才。天正19年7月9日池田輝政は天恩寺の寺領である「片寄郷山林共」を安堵し(同前),文禄4年8月26日にも照政は新住持潔堂和尚に片寄郷79石5斗余を安堵した(国立公文書館所蔵文書/豊橋市史5)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355945
最終更新日:2009-03-01




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