ケータイ辞書JLogosロゴ 金岩村(近世)


愛知県>美和町

 江戸期〜明治22年の村名。海東郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに434石余,「旧高旧領」619石余。「寛文覚書」によれば,概高619石余,反別33町余(田25町余・畑8町余),家数37・人数167,馬7。用水は宮田井懸り。「徇行記」によれば,給知と蔵入地からなり,給知高495石余,給人は下条庄右衛門ら8人,戸数35・人数115。集落は花長村境に形成され,上ノ切・下ノ切に分かれていた。津島街道の北に枝村の江村がある。村内には紺屋もあった(尾州濃州紺屋惣帳)。時代が下るが,藍も栽培され,明治11年の製藍高届では120本を生産(祖父江家文書)。神社は白山社。明治7年の各業取調書によれば,人力車曳業2・豆腐業1・紺屋業2・米穀業1・七宝職1・佐織縞業1。同13年花正村金花学校から分離して金岩学校を開設。同15年の戸数人口反別地価等調帳(愛知図書館蔵)による戸数51・人口219。同22年金賀木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355977
最終更新日:2009-03-01




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