ケータイ辞書JLogosロゴ 金割村(近世)


愛知県>御津町

 江戸期〜明治9年の村名。宝飯郡のうち。五井山より2つの支脈が南北に分かれ,その谷間の平地に集落がある。慶長9年検地帳に鐘破村とあり,弁慶が陣鐘にするつもりで国分寺の鐘を持ってきたところ,国分寺へいのうと鳴いたので弁慶が怒って叩き割ったことにより,金割の地名が生じたとの伝承があり(宝飯郡誌),もと中山村と称したという。はじめ幕府領,享保17年岡崎藩領,安永元年遠江相良藩領,寛政2年からは陸奥磐城平藩領。村高は,「寛永高附」185石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに217石余。慶長9年鐘破村検地帳によれば,反別15町余,うち田13町余・畑1町余・屋敷3反余,名請人48人,うち屋敷持22人。東海道赤坂宿の助郷村。熊野神社があり,境内に町天然記念物のフジがある。また,聖武天皇の勅願により行基が開基したと伝える臨済宗仲仙寺,浄土宗松沢寺がある。明治9年金野村の一部となる。現在の御津町金野の通称西金野にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355996
最終更新日:2009-03-01




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