ケータイ辞書JLogosロゴ 蟹江(中世)


愛知県>蟹江町

 鎌倉期から見える地名。尾張国海東郡のうち。建保3年2月16日祐信譲状に「尾張国蠏江御品田并宮崎畠事」とあり,祐信より女子宮御前に「壱所 弐町〈御品田〉,弐所 五段〈宮崎屋敷〉,壱所 壱町〈同宮崎中河原畠〉」が譲与されている(惑応寺所蔵水野家文書/鎌遺2144)。嘉暦2年成立と推定される尾張国富田荘絵図には,富田荘の西に「蟹江」「今村」「蟹江今村」が見え,このうち蟹江今村は富田荘内と記されている(円覚寺文書/神奈川県史資料編2付録)。下って明応7年8月28日の室町幕府奉行人連署奉書によると,山城国高畠荘・丹波国小山村などとともに「尾張国蟹江御品田弐拾五町」が千本福寿丸に安堵されている(仁和寺心蓮院文書/室町幕府文書集成奉行人奉書編上)。天正12年6月16日,当地の城主前田与十郎は織田信雄方から離反し羽柴秀吉方の将滝川一益と一味した。このため信雄・徳川家康の軍勢は蟹江城を包囲し,同23日に一益と交渉して蟹江城を明け渡させるのに成功した(家忠日記・吉村文書など/大日料11‐6・7)。「信雄分限帳」に「かにへ いわし郷」とあり,天正14年と推定される2月20日織田信雄朱印状に「かに江の郷内本町」「かに江ノ郷内下市場・新町・西ノ森・下知島」と見える(酒井利彦氏所蔵文書/佐織町史資料編2)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7355997
最終更新日:2009-03-01




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