ケータイ辞書JLogosロゴ 上粟代村(近世)


愛知県>東栄町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国設楽【したら】郡のうち。慶安2年粟代村が当村と下粟代村とに分かれたことにより成立。ただし,「元禄郷帳」「天保郷帳」では粟代村一村として見える。はじめ幕府領,明治2年からは重原藩領。村高は,延宝検地前は105石余,検地後は142石余,「旧高旧領」では150石余。承応3年の家数15,元禄2年の家数27・人数134。江戸初期の創建と伝える氏神八幡神社,応永4年創建という曹洞宗歓喜寺がある。慶安2年には幕府より八幡神社に朱印5石,歓喜寺に朱印11石7斗4升が与えられた。畑作中心で麦・大豆・綿・楮・茶・莨・串柿・漆などを産出。海老街道と田口道が通り,馬稼ぎ道として栄えた。明治11年北設楽郡に所属。同22年振草村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356058
最終更新日:2009-03-01




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