ケータイ辞書JLogosロゴ 上毛呂村(近世)


愛知県>額田町

江戸期〜明治5年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうち乙川支流毛呂川の上流谷筋古くは下毛呂村と一村であったと思われるが,中世末には上下に分かれた中世は比志賀郷のうち大永6年毛呂城主大山市蔵,茂呂政茂は松平清康に攻められて落城とある(三河国二葉松)はじめ岡崎藩領,宝暦12年幕府領,明和7年からは岡崎藩領岡崎藩では東山中手永に属す村高は,「寛永高附」89石余,「元禄郷帳」では下毛呂村を含めて114石余,「天保郷帳」でも同様にして163石余,「旧高旧領」79石余「元禄郷帳」「天保郷帳」では下毛呂村の名が見えず,上毛呂村一村として記される文化14年東山中明細記によれば,村高より13石余を諸引され60俵余の定俵納め,御林2,うち1か所は柴山として両毛呂村と切山村の入会,他の1か所は上毛呂村と切山村との入会,また伐分竹を2束上納し,家数15・人数71寺社は天王社(現姫宮神社),薬師堂,専居殿(現在所在不明)明治5年毛呂村の一部となる現在の額田町毛呂上にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356088
最終更新日:2009-03-01




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