ケータイ辞書JLogosロゴ 上半田川村(近世)


愛知県>瀬戸市

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国春日井郡のうち。尾張藩領。水野代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに232石余,「旧高旧領」263石余。「寛文覚書」によれば,概高254石余,反別は,田16町余・畑3町余,松山・もや山450町,新林4町,井瀬木12か所,家数19・人数102,馬3。「徇行記」によれば,給知は229石余で平岩伝右衛門ら給人2,蔵入地25石,家数55・人数239,馬6。元禄年間に当村・下半田川村と美濃国笠原村(現岐阜県笠原町)との間に村境・入会権をめぐる争論が生じ,同14年幕府の評定所へ訴え,尾張側の勝訴となった。村民はそれを記念して134段の石段を築き白山社を勧請,証拠品である村絵図・書状・文箱などは代々の庄屋が保管し,毎年6月22日には絵図びらきを行っている。一方で笠原村の加藤喜左衛門は打首となったという。神社は,権現(金峰神社)・山神・白山。寺院は曹洞宗吉祥寺(吉祥庵)。頭痛を治す喜平治祭りで名高い。明治9年の戸数103・人口468。同13年東春日井郡に所属。同22年上品野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356178
最終更新日:2009-03-01




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