ケータイ辞書JLogosロゴ 上横須賀村(近世)


愛知県>吉良町

 江戸期〜明治11年の村名。三河国幡豆【はず】郡のうち。正徳4年横須賀村が当村と下横須賀村とに分かれたことにより成立。ただし,「天保郷帳」では横須賀村一村として見える。はじめ旗本吉良上野介知行,元禄16年幕府領,正徳4年旗本諏訪氏知行,天明5年からは駿河沼津藩領(明治元年上総菊間藩と改称)。村高は「旧高旧領」1,044石余。浄土宗福泉寺は,寺伝によれば,横須賀村の開拓者山崎彦次郎が岡山花岳寺で死去したのち,一子宮内左衛門尉浄祐が父供養のため供田を寄進して開創した。真宗大谷派源徳寺は,9世紀了純の代に吉良家の侍医佐橋甚五兵衛が同寺の檀家であった縁により,吉良若狭守義冬が鐘楼・山門を寄進。浄土宗立信教会は通称地蔵堂といい,作家尾崎士郎の先祖が尾崎邸内に建立したもの。浄土宗光明寺は寛政年間の開創。同宗観音寺は慶長12年の開創。春日神社は天正12年の創建という。春日社・福泉寺付近を中心に綿打ち・綿紡を手内職とする家内工業が起こり,江戸期には町屋を形成し,商工業の中心地となり,これが明治期の製糸業へと発展した。福泉寺の寺子屋が明治6年横須賀郷学校となり,同年影面学校,同9年横須賀学校となる。現在の横須賀小学校の前身である。同11年横須賀村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356224
最終更新日:2009-03-01




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