ケータイ辞書JLogosロゴ 上和田(中世)


愛知県>岡崎市

 戦国期に見える地名。三河国碧海郡のうち。享禄4年2月20日「上和田七郎ゑもん」は大樹寺に作職請文を出している(大樹寺文書/岡崎市史6)。天文5年閏10月26日岡崎奉行人は六名天神崎を「上和田定(浄)珠院」の寺屋敷としている(浄珠院文書/同前)。この浄珠院は松平2代泰親の子教然良頓が開いた浄土宗西山深草派の寺である。同15年4月5日の松平広忠判物に「上和田てんはく導場」を不入とする旨が見えるが(浄妙寺文書/同前),これは針崎勝鬘寺下の真宗寺院浄妙寺のことで,「石山本願寺日記」天文18年2月22日条に「勝万寺下ミカワ上和田了□」と見える。浄妙寺は近世初頭の洪水によって中之郷村に移転。松平氏有力家臣の大久保一族が上和田に屋敷を構えていた。上和田砦(筒井砦)址は,織田信長の父信秀が築き,天文17年の小豆坂の戦では対今川氏の前線基地となり,また,永禄6〜7年の一向一揆に際して大久保一党が同砦にこもって一揆勢力と対峙した(三河物語)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356232
最終更新日:2009-03-01




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