亀穴(近代)
愛知県
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額田町
明治22年〜昭和31年の宮崎村の大字名。明治34年の戸数43,昭和5年の世帯数72・人口311。明治期には馬車から牛馬の背へ荷を積み替える中継点で,炭・白木の問屋が繁栄した。大正期に入ると交通の便がよくなり,中継商業的性格が薄れて小売商の性格が強くなった。昭和31年額田町宮崎となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356241
最終更新日:2009-03-01
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