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- 萱町(近世~近代)とは
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萱町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は弘前を冠称江戸期は弘前城下の1町町人地城郭の東に位置する北は和徳町から南は緑町まで南北にのび,東は植田町,西は南横町が並行する正徳元年に南横町の新割屋敷町としてつくられた(国日記)町名の由来は,町割り以前は田園地帯で萱が群生していたことによると考えられる宝暦6年の弘前町惣屋舗改大帳によれば,和徳町の支配をうけ,町屋41軒があった明治初年の「国誌」によれば,戸数86,町域は「長二丁二間一尺,巾四間四尺」と見え,町の状況については「当町小賣傭夫住居」とあり,明治以降も小売業者や日傭取りが多く居住していた明治22年弘前市に所属昭和3年の賦課戸数47世帯数・人口は,同25年90・368,同50年133・305,同55年107・246 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」