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河俣郷(中世) 戦国期に見える郷村名県北西部,利根【とね】川中流沿岸に位置する地名は利根川と会ノ川が二股に分かれる地点に位置することによる上野【こうずけ】国(群馬県)勢多【せた】郡の赤城神社宛て天正6年3月7日の木戸玄斎(群馬県の膳城主か)社領寄進状に「河俣郷」と見える(赤城神社文書)江戸期には上野国にも川俣村の名が見え,その北に河道跡があったことから,かつて利根川がその地を流れていたが,のち流れが変わり地内が二分されたと思われる(地名辞書)このことから郷域は現在の利根川をはさんで,群馬県側と埼玉県側に展開していたと推定される江戸初期に郷域の南部が上川俣村と本川俣村に分かれた現在の羽生【はにう】市上川俣・本川俣のあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」