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川向村(近世) 江戸期~明治13年の村名播磨国揖西【いつさい】郡のうち揖保【いぼ】川下流の東方,同川支流林田川との間慶長5年姫路藩領,元和3年竜野藩領,万治元年幕府領,寛文12年からは竜野藩領村高は,「旧高旧領」では揖東【いつとう】郡に属し87石余竜野藩領分明細帳(八瀬正秋文書/竜野市史5)によれば,天文年間四ケ村から分かれた町分があり,寛文12年その町分が九郎兵衛扮・五郎右衛門扮(のちの彦太夫扮)・四郎兵衛扮の3つに分かれ,延享2年四ケ町四郎兵衛扮が改称したのが当村で,この三分された地は以前は町分と称し,一円の地で,当村のみ揖西郡に属し,ほかは揖東【いつとう】郡であり,一説には往古揖東郡に当村の名があったというまた,同帳では人家のない村として記すなお,寛文12年の播州竜野之絵図(竜野市史7)によれば藩主京極氏の時代には侍屋敷があり,13区画・3,633坪,足軽長屋など4区画・706坪が描かれていたが,のち脇坂氏の時代にはなくなっている宝暦年間の竜野藩領分明細帳(矢本博文書/竜野市史5)によると,高86石余,田4町8反余・畑8反余,山札・茶役銀5匁余明治13年富永村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川向村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川向村(近世) 江戸期の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち慶長7年~元和8年最上氏領,同8年本多正純領,同9年から本荘藩領子吉【こよし】川西側の氾濫原に位置し,現在の由利町大字川西に当たる慶長17年という「由利郡中慶長年中比見出検地帳」に滝沢領川向村と見えるのが初見元和8年滝沢兵庫頭知行地として川向村1万5,553束苅(186石余)ともある(滝沢伝来記など)「正保国絵図」,元禄11年「村高帳」によれば,この地域に新屋敷【あらやしき】村・奉行免【ぶぎようめん】村・米山【よねやま】村の3か村が存在し,慶応4年「滝沢郷村鑑書上帳」(木村家文書)にも見えるしかし「天保郷帳」には川向村1,128石余とあるここに前出3か村の名がないところからみれば,それらの村々を総称したものと考えられる「木村家文書」に「新屋敷村・古川向村共」と記すのは,当初の川向村が新屋敷村の周辺であり,のち併合されたことを意味するか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川向村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川向村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川向村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」