ケータイ辞書JLogosロゴ 神戸新田村(近世)


愛知県>十四山村

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国海西郡のうち。尾張藩領。佐屋代官所支配。全村蔵入地。当村は,開発地のうちに七里の渡しの航路が入るため,新航路の開削を条件に開発が認められた。宝永4年神戸分左衛門が敷金7,811両余を藩に上納し,125町を開墾した。しかし,同年11月大地震により堤が決壊し,翌年春に再墾されたが,同年7月の大風・高波のため堤が決壊した。さらに,正徳4年8月の大風でまた堤が決壊し,南部50町余が流失,享保7年8月の暴風雨でも被災し,神戸家の投資金は3万5,000両余にのぼったというが,再開発地は50町足らずにすぎなかった。神戸家では鎮守社として日吉社を勧請,海岸堤を34等分し一体ずつの観世音の石仏を祀り,村の安全を祈念した(神戸家文書)。新田構築にあたり,宝川右岸の四郎兵衛新田の海岸堤を譲り受け,代わって当新田の中央部を四郎兵衛新田に渡した。村高は,「天保郷帳」499石余,「旧高旧領」535石余。「徇行記」によれば,延享2年検地,概高499石余・反別45町余,戸数28・人数206,馬5,「農屋ハ宝川南堤傍ニ建ナラヒ,ソレヨリ新田中通リ処々ニ散在セリ」と記される。また,はじめ大宝前新田と称したが,文化12年改称したという。災害で野跡となった地に自生する葭は,重要な副収入源となった。明治22年宝地村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356419
最終更新日:2009-03-01




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