ケータイ辞書JLogosロゴ 北苅村(近世)


愛知県>美和町

 江戸期〜明治22年の村名。海東郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに434石余,「旧高旧領」667石余。「寛文覚書」によれば,概高665石余・反別33町余(田29町余・畑4町余),家数24・人数108,馬9。用水は宮田井懸り。「徇行記」によれば,給知と蔵入地からなり,給知高132石余,給人は横井源五兵衛ら3人,戸数38・人数184,馬2。神守宿の助郷役を勤めていた。切干大根の生産が盛んで,千切干を製造して下小田井市へ売り出した。また村内には紺屋もあった(尾州濃州紺屋惣帳)。なお,10年ごとの割地慣行があった。神社は白山社。明治に入ると,藍の栽培も行われ,明治11年の製藍高届によれば76本を生産(祖父江家文書)。同15年の戸数人口反別地価等調帳(愛知図書館蔵)による戸数30・人口220。同22年篠田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356513
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ