ケータイ辞書JLogosロゴ 北鷲田村(近世)


愛知県>幸田町

 江戸期〜明治22年の村名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。慶安3年の検地で大草村から分村して成立。はじめ旗本松平(忠隆)氏知行(大草陣屋),天保2年新田が幕府領となったため旗本松平氏と幕府の相給となり,明治2年から駿河静岡藩領。村高は,慶安3年検地高59石余,「天保郷帳」では北鷲田村新田と見え17石余,「旧高旧領」83石余。なお,「天保郷帳」では幕府領のみの村高が記され,松平氏領は大草村のうちに含めて記される。集落は菱池東岸の丘陵地にあり,田畑の大部分は菱池東岸の川原地にあった。延宝2年の高64石余,小物成として舟役2隻分,菱池年貢として鮒役鮒100枚。同年菱池沼開発をめぐり,高力村と地境争論を展開。天保2年菱池沼開発地の検地により,高17石余が北鷲田村新田として幕府領に編入された。同9年の家数14・人数46。地内に北鷲田神明宮があった。明治7年の戸数16・人口53(額田郡誌)。同22年相見村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356566
最終更新日:2009-03-01




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