ケータイ辞書JLogosロゴ 久右エ門町(近世〜近代)


愛知県>岡崎市

江戸期〜現在の町名明治初年から明治22年まで岡崎を冠称岡崎城下の1町岡崎城の北東,東海道に面し東西に続く伝馬町の中程から北に延びる通りを久右衛門小路と呼んだので,もとは久右衛門小路町とも称した町名は,伝馬町の本陣の1つ磯貝久右衛門家の先祖が,慶長年間当地を開いたことによる享和2年の書上では,高15石余,町の長さ2町18間・幅2間1尺,家数53・人数204,職業は日雇稼29,石屋4,紺屋・綿打・医師・綿実買各2,菓子屋,木綿買,屋根師,按摩など(旧岡崎市史)町裏に1反1畝余の赤坂代官所支配御用地があり,町辻に夜番所があった東側に日蓮宗円頓寺がある同寺は岡崎城主水野家に付属して正保2年に岡崎に来住宝暦13年水野家が唐津に転封の時岡崎に留まり,現在に至る「旧高旧領」では高15石余明治15年の戸数104・人口330,耕宅地1町余(岡崎市史)同22年岡崎町,大正5年からは岡崎市に所属同年の戸数105・人口419昭和20年7月20日の空襲で町の8割を焼失同32年一部が伝馬通・花崗【みかげ】町となり,伝馬町の一部を編入し,門前町と境界変更世帯数・人口は,昭和30年64・310,同50年79・256
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356594
最終更新日:2009-03-01




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