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- 切山村(近世)とは
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![]() | 切山村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 切山村(近世) 江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島南部,知多湾へ注ぐ前川流域の山あいに位置する「地名考」に「正字霧山なるべし」とあり,地名は開墾地,焼畑の意によるものか尾張藩領鳴海代官所支配村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに140石余,「旧高旧領」では102石余「寛文覚書」によれば,概高98石余,反別18町余(田6町余・畑11町余),家数7・人数93,牛馬6浄土宗永寿寺,八幡社,児ノ宮,山神がある「徇行記」によると,全村蔵入地,家数65・人口246,牛4,山あいで耕地が少なく,他村へ耕作に出たり,大工になる者が多く,大工は24,5人を数え三河・美濃方面へ出ており,小百姓ばかりだが,家造りがよく蔵など付属建物を備えた家が多いとあるまた,作物は畑作中心で麦・稗・粟・大豆,地盤が岩場で松がよく茂り,農間期には薪を作って売りに出かけている明治11年豊丘村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」