ケータイ辞書JLogosロゴ 日下部村(近世)


愛知県>一宮町

江戸期〜明治11年の村名三河国八名郡のうち豊川下流右岸に位置する雄略天皇の皇后草香幡棱皇女(仁徳天皇の子)のために設けられた名代クサカベを地名にしたと考えられる「三河国二葉松」に日下部城の記載があり,城主・所在地など不詳山城とは考えられない平坦な地形であるので,居館があったのかもしれない(一宮町誌)慶長8年幕府領,寛永9年吉田藩領,寛文3年吉田藩の分知家である旗本小笠原外記長秋知行(西川陣屋,2,000石),元禄9年からは吉田藩領(同前)村高は,寛永12年検地帳423石余,「寛永高附」337石余,「元禄郷帳」387石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに451石余東上村地付の本宮山から秣・薪を採取し,その代償として東上村に毎年山手米1石6斗余を納入豊川の洪水の被害を頻繁にうけ,寛政4〜6年,文化9年,嘉永3〜4年などの被害の記録がある元禄4年の大洪水では橋尾村内の井堰が破壊されたため,麻生田村など下流の19か村では同7年に当村と養父【やぶ】村の間の豊川に井堰をつくり豊川の水を取水文政13年7月19日夜落合嘉兵衛宅にお札が降り,20日氏神へ奉納中島村と当村の2か村は,8月1日から5日にかけて一宮村の街道に出て籠・赤飯・夜番などのふるまいを行う(中島村庄屋記録)天王社,禅宗全昌寺・新清庵・寿徳庵がある明治5年日下部学校開校,同6年全昌寺本堂に移る同11年豊津学校と改称同年豊津村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356666
最終更新日:2009-03-01




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