ケータイ辞書JLogosロゴ 久田村(中世)


愛知県>稲沢市

鎌倉期〜南北朝期に見える村名尾張国中島郡のうち九田とも書く弘安5年7月日付尾張国千代氏荘坪付注進状案に「中島郡北条河崎郷久田村」と見え,国衙領の鈴裳名畠があった(醍醐寺文書/稲沢市史資料編7)建武3年2月15日宮内大輔某が性海寺に檀那大塚長又三郎持信の姪久田楠鶴女の遺領「久田村散在田畠名墓荒野」を寄進している(性海寺文書/同前)「名墓」は近世の長束村この辺りに荒野が多かったであろうことは,長享元年頃の妙興寺領坪付注文に織田河内入道慶熊寄進分として「久田散在荒野之内」と見えることからもわかるまた久田には荒木兵庫入道寄進の妙興寺末寺称名寺敷地と寺領があった(妙興寺文書/同前)万徳寺蔵覚禅鈔随求法永徳2年8月8日付奥書に「中島郡久田郷内長沼村万徳寺」とある(稲沢市史資料編7)戦国期には織田家の直轄地で,天文18年11月28日織田信秀が祖父江五郎右衛門に「九田方」など8か所の代官を命じている(氷室家文書/同前)永禄8年11月3日織田信長は「〈久田〉那古野雅楽・禰宜」5貫文を坪内宗兵衛一族に宛行った(坪内家文書/同前)現在の稲沢市長野町・長束町・稲島町東部辺り一帯,あるいは近世妙興寺村(一宮市大和町妙興寺)に上久田・南久田の字名が見られることから,さらに北部まで及んでいたとも考えられる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356690
最終更新日:2009-03-01




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