ケータイ辞書JLogosロゴ 沓掛村(近世)


愛知県>瀬戸市

 江戸期〜明治22年の村名。春日井郡のうち。沓懸村とも書いた。もと中水野村の一部,寛文2年同村から分村して成立(村名続帳)。尾張藩領。水野代官所支配。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに203石余,「旧高旧領」159石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高157石余,反別は,田12町余・畑4町余,ほかに概高2石余の新田,慶安3年これらのうち高130石余が定光寺領となり,ほかに元高10石が定光寺古領としてあり,見取新田9反余や山方40町も定光寺へ年貢を納め,家数30・人数159,馬3。「徇行記」によれば,全村定光寺領,家数84・人数309,馬9。産物に,柿・栗・梅・松茸・山椒など,山椒は但馬国朝倉村より移植したもので,定光寺山椒として有名であった。神社は,「寛文覚書」に熊野権現・白山・如来堂,「徇行記」に熊野権現・神明・白山が見え,現在は神明社のみ。寺院は臨済宗定光寺,塔頭に蔭涼院・梅竹軒・竜沢庵・続芳院・金渓軒・増竹軒,ほかに観音堂があった。定光寺は建武3年覚源禅師の開基と伝え,妙心寺派中本寺格として七堂伽藍を有した。藩祖徳川義直が遊猟の際などに訪れた縁で,慶安3年彼が没すると廟所が建立され,寛文2年当村と下半田川村に寺領300石を与えられた。なお,「徇行記」は中水野村に属すとして,当村の項目の中には書き上げていない。明治13年東春日井郡に所属。同22年掛川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356694
最終更新日:2009-03-01




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