ケータイ辞書JLogosロゴ 暮戸村(近世)


愛知県>岡崎市

 江戸期〜明治22年の村名。碧海郡のうち。万治元年西本郷村地内の葭野が岡崎藩主によって開発され,寛文2年百姓12軒・40人が移住して西本郷村から分村したという。ただし,当村名は「元禄郷帳」「天保郷帳」には見えず,「旧高旧領」には独立した村として見える。はじめ岡崎藩領,寛文4年旗本水野氏知行,明治2年からは駿河静岡藩領。村高は,「旧高旧領」225石余。寛文2年の年貢免状によれば,高225石余うち田184石余・畑40石余・酉之新切1升。寛政4年東本願寺檀信徒の集会所として暮戸会所が設けられ,明治4年の大浜騒動では一揆勢の拠点となった。明治15年の人口117,耕宅地18町余(岡崎市史)。同22年本郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356781
最終更新日:2009-03-01




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