ケータイ辞書JLogosロゴ 桑子(中世)


愛知県>岡崎市

 南北朝期から見える地名。三河国碧海郡平田荘のうち。建武3年12月5日の物部氏屋敷・畠地寄進状に平田荘の「桑子左近五郎屋敷并畠伍」を太子堂敷地として寄進するとある(妙源寺文書/岡崎市史6)。この太子堂はのちの明眼(妙源)寺のことで,高田派の寺院として初期三河真宗教団の中心となった。貞治3年9月2日の三河念仏相承日記に慶願という「桑子ノ坊主」が顕智に供奉して高田へ赴いたことが見える(上宮寺文書/同前)。妙源寺本「親鸞聖人門侶交名牒」にそれより2代前の念信が西矢作に住して親鸞面授の弟子となったとあり,妙源寺の寺伝ではこの念信房慶念(俗名安藤薩摩守信平)が正嘉2年に創建して開基となったという。史料に見るかぎり明眼寺という寺号は明応年間以後にしか現れず,長く桑子太子堂の名が一般に使われた。観応2年5月2日の道広畠地寄進状に「平田庄内桑子名」とあるように,桑子は平田荘の名の名称であった。延文元年10月7日に宮内少輔重定が,貞治4年8月20日に散位重道が太子堂に土地を寄進している。この時期に太子堂へ土地を寄進した人々は平田荘の地頭ないし荘官と考えられる。戦国期には長坂・安藤・天野・大津・荒川・神谷・松平・石川・春日部・平岩・牧内・小栗・都筑・筒針・中山・水野・花井・板田・島田・俊賀利・大塩・草下などの地侍・土豪らが明眼寺へ土地を寄進ないし売却している。明眼寺の土地集積は地元の桑子や富永・大岡・別所・新堀・牧内など平田荘内が多いのは勿論だが,遠く額田【ぬかた】郡菅生【すごう】・加茂郡伊保・碧海郡小垣江・尾張国愛知郡星崎などにも及んでいる(妙源寺文書/同前)。妙源寺に隣接して安藤氏の屋敷地があった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356822
最終更新日:2009-03-01




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