ケータイ辞書JLogosロゴ 河内村(近世)


愛知県>富山村

江戸期〜明治9年の村名はじめ三河国加茂郡,江戸前期からは設楽郡のうち天竜川中流右岸に位置する天竜川へ支流漆島川が流れ込む所にできたわずかな河岸段丘に人家が集中する地名の由来は,延元2年当地を開いた多田綱秋が先祖の生国の河内国にちなんで名付けたといわれる(関伝記)河内郷は当地域最初の開郷地であったため,以後入郷した者は多田家に寄留し,その助力を得て付近の山地を切り開き,市原・左閑辺【さかんべ】などを開郷していったという「熊谷家伝記」によれば,天文8年関氏に属した時には80貫文の地と伝える幕府領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに101石余享保3年の書上帳によれば,反別は10町4反余(田1反余・畑10町2反余),戸数18・人数108枝郷として,元中元年に信州左閑辺郷主の弟直秋が婿となって漆島川の上流に開いたという漆島をはじめ山中(途中で市原に属す),大尾などがあった天竜川に沿った村であったため,川船の出入りや筏の搬出も盛んで宿屋も数軒あり,周辺の他村と異なり商業色の濃い村であった天竜川と支流漆島川・井戸川の合流地点にあり,水害にはたびたび悩まされたようである諏訪神社があり,11月14日(明治期以降は1月7・8日)の祭礼には霜月神楽が行われていた明治9年富山村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356927
最終更新日:2009-03-01




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