ケータイ辞書JLogosロゴ 子生和村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。東西5町20間・南北6町15間。村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに391石余,「旧高旧領」647石余。「寛文覚書」によれば,概高647石余,田16町余・畑23町余,家数59・人数335,馬6。「徇行記」によれば,蔵入地390石余,給知257石余で横井伊折介ら給人5,家数95・人数355,馬4,岐阜街道が通り,また美濃路の将軍上洛時・朝鮮通信使通行時には人馬を提供し,起宿に船橋が架けられる時は人足を出した。また,村内は南ノ切・北ノ切の2区に分かれ,大江川には藩祖徳川義直が築かせたという河曲橋(子生和橋)が架かり,特産物の茄子は結実が早く美味で子生和茄子として名高く,農間余業に綿を商う者2,3戸があったという。臨済宗慈眼寺があり,木造阿弥陀如来座像は県文化財。神社は,十三権現(川曲神社)・熊野権現・八幡がある。十三権現は「本国帳」に従三位とあるのを村人が神位であることを知らず十三権現と訛ったことによるといわれる(尾張志)。明治初年まで磐境が残っていた。明治12年川曲学校創立,同17年の生徒数34(男28・女6)。同22年山形村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7356956
最終更新日:2009-03-01




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