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- 国分寺(中世)とは
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国分寺(中世) 鎌倉期~戦国期に見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
国分寺(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
国分寺(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
国分寺(中世) 鎌倉期から見える地名常陸国南郡府中のうち常陸国分寺(金光明寺)が所在弘安田文に,「国分寺十三丁」と見え(税所文書/県史料中世Ⅰ),嘉元田文では「一,勅免地」として「国分寺十三丁」と記載されている(所三男氏所蔵文書)文明6年8月宇都宮成綱は,「国分寺修理替廿貫文,岡本中務方へ以此折紙致催足,請取可申候也」と,国分寺の修理について,某に申し送っている(糟谷慶助文書/家蔵文書)福島県いわき市の梵音寺木造地蔵尊台座銘に,「常州府中国分寺邑九品作 天文十六年七月」と見え(いわき市史),戦国期には村名でよばれていた天正13年,同寺は多賀谷重経の府中攻めにより炎上し再建されるが,同18年,佐竹氏の攻撃により再び炎上したと伝えられる(地名辞書)現在国分寺跡がある石岡市府中1~5丁目付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」