ケータイ辞書JLogosロゴ 五軒屋新田(近世)


愛知県>豊明市

江戸期〜明治初年の新田名尾張国愛知郡のうちもと間米村の一部で,延宝8年同村から分村して成立境川右岸流域地名は,新田開発時に5軒の家が移り住んだことによる郷帳類には五軒屋新田と見えるが,「仮名附帳」には五軒屋新田村とある尾張藩領鳴海代官所支配村高は,「天保郷帳」149石余,「旧高旧領」158石余「徇行記」によれば,本田概高149石余,田12町余・畑5町余,家数72・人数252,馬2,鳴海宿と池鯉鮒【ちりゆう】宿の中間に位置し,立場として発展した寛保3年に4月・8月の両度10日間の市開催の免許を受け,50年間ほど続いたが,のち廃止された名物に,大根の葉を細かく刻み,湯を通したあと,蒸して乾燥し,これに食塩をふりかけた前後菜飯,松の木を彫った玉泉堂の赤松茶盆,蔵元豊倉の猩々という酒などがあるまた,石混じりの畑が多く葉煙草の栽培に適していて,前後煙草として有名であった天保12年の村絵図では一円蔵入地とあり,金坪池・西池・永池・大迫間池・山入池・千人塚池・又四郎池などが見え,御普請所の定井棚が設けられている神社は神明社寺院は真宗大谷派西雲寺明治初年前後村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357000
最終更新日:2009-03-01




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