ケータイ辞書JLogosロゴ 古部郷(中世)


愛知県>岡崎市

 室町期〜戦国期に見える郷名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。応永17年の須佐之男神社棟札銘に「奉造替三州額田郡古部郷三社霊壇 檀那女浄栄 並源朝臣常国」と見える。延徳4年8月13日の小島大蔵丞宛松平栄金(光重)・同親貞連署知行宛行状写に,小島氏所領「於為平郷」の境界が「東ハ古部ニ囲,桜井渡瀬切」と見える(児島好平氏所蔵文書/岡崎市史6)。小島氏は室町幕府奉公衆の家柄で,古部郷内の蓬生【よもぎう】に屋敷を構えていた。ところが古部郷は秦梨の粟生氏が領するようになり,永正2年7月吉日の粟生永信譲状写によれば,「新地古部之郷地頭式(職)」は粟生氏が持っていた(三川古文書/同前)。粟生氏が「古部郷之内蓬生分」の小島氏知行を否定して自己の一元的支配を目指したことから小島氏との間に深刻な対立が生じ,小島氏は弘治年間〜永禄初年に今川氏のもとへ訴訟を繰り返している。弘治3年7月23日今川義元は「古部郷之内蓬生分」の小島正重知行を形原への陣番を勤めることを条件に承認した。永禄3年3月18日の今川氏朱印状は粟生将監による古部郷検地には蓬生分の屋敷などは除外するといっている。同年11月13日の今川氏真判物は蓬生分は粟生将監が知行する古部郷に入組んでいるが,検地から除き,増分は正重の所務に任せ,古部郷の領主が変わることがあっても蓬生の小島氏知行は相違ないとしている(児島好平氏所蔵文書/同前)。近世の古部村・蓬生村にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357138
最終更新日:2009-03-01




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