ケータイ辞書JLogosロゴ 篠目村(近世)


愛知県>安城市

 江戸期〜明治22年の村名。三河国碧海郡のうち。はじめ刈谷藩領,元禄15年幕府領,宝永7年再び刈谷藩領,寛政4年陸奥福島藩領,明治2年からは同藩が改称して重原藩領となる。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに146石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに207石余。天正18年9月の田方帳・畑方帳では,田10町余・畑2反余,名請人数は屋敷持ち12・不所持27。田は幕末までに1〜2割しか増えていないのに,台地上の畑は近世を通じて十数倍に増えている。正徳4年にはわずかながら「畑方木綿」の検見引が記され,綿作が行われていたことを示す。享保5年が定免採用の最初で免4割4分3厘。享保20年前後に検見制が復活し,免5割を超える。小物成として茶年貢がある。池鯉鮒【ちりゆう】宿の定助郷役として146石を負担した(元禄7年東海道池鯉鮒宿助郷帳)。寛政4年の家数86・人数318。八幡神社を鎮守とし,真宗大谷派明専寺がある。明治22年長崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357409
最終更新日:2009-03-01




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