ケータイ辞書JLogosロゴ 里村(近世)


愛知県>安城市

 江戸期〜明治22年の村名。三河国碧海郡のうち。江戸初期(慶安3年頃か)大浜茶屋村を分村。はじめ刈谷藩領,寛政4年陸奥福島藩領,明治2年からは同藩が改称して重原藩領となる。村高は,「寛永高附」「元禄郷帳」ともに739石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに740石余。八幡(万)池へ通じる釜戸・鷺蔵両池は17世紀に整備され,その周辺に新郷が成立していったが,特に鷺蔵池をめぐっては江戸期を通じて何回も争論が起こっている。里・花園など池下の3村と上野・上・下など池周辺の6か村との間の水争い・村境争いについての元和元年の裁決では,鷺蔵池は里村の用水源であるとして「上野村地内たりといへども池之内向後新田一切致すべからず」(絵図面裏書)と鷺蔵池開墾永久不許可の審判を下した。寛政2年には粟寺新郷で鷺蔵池の堤を切下げる動きをめぐって争論が起こった。嘉永5年頃には,鷺蔵池開拓をめぐって長期争論が再発し,安政5年以後は里村は毎年この計画への反対願書を重原役所へ出さなければならなかった。文久2年には,粟寺新郷が鷺蔵池の開墾にとりかかったので,里村ほか12か村は寺社奉行所に訴えた。明治3年民部省の達しにより里村は勝訴したが,同5年鷺蔵池の開発許可令が出されることになった。同12年明治用水の開削に際しては,杉山佐治衛が世話役に任命された。同22年里村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357425
最終更新日:2009-03-01




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