ケータイ辞書JLogosロゴ 佐脇(中世)


愛知県>御津町

 戦国期に見える地名。三河国宝飯【ほい】郡のうち。天文6年11月14日の佐脇神社棟札銘に領主奥平九八郎定勝,大檀那奥平兵庫助信近・同子息橘助信勝の名が見え(下佐脇村誌/御津町史史料編下),作手【つくで】奥平氏の一族がこの地を領していた。なお,この棟札には「佐脇庄」とあるが,佐脇荘はほかに所見がなく,荘名としては疑問がある。年未詳4月10日の奥平貞能寄進状写に「佐脇長勝寺上成米銭」など10貫文と「佐脇東光寺分」を額田【ぬかた】郡夏山の仙洞庵(のちの遊仙寺)へ寄進したことが見える(天恩寺文書/岡崎市史6)。なお,同文書に見える佐脇東光寺は現在廃寺。佐脇城があり,永禄7年3月(同5年9月とも)に今川方の板倉弾正重定らがここに立てこもったが,松平家康の攻撃をうけて落城したという。戦国期には上佐脇の地名も見え,単に佐脇という場合は主として江戸期の下佐脇村を指す場合が多い。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357459
最終更新日:2009-03-01




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