ケータイ辞書JLogosロゴ 三本木村(近世)


愛知県>大治町

 江戸期〜明治22年の村名。尾張国海東郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」564石余,「天保郷帳」565石余,「旧高旧領」665石余。「寛文覚書」では,戸数42・人数276,馬17。「徇行記」によれば,概高642石余はすべて石川長左衛門ら12人の給知,反別48町余(田30町余・畑18町余),戸数73・人数305,馬6。馬島村明眼院へ向かう道沿いに集落を形成。この明眼院道は,砂子村稲荷社の西境の道にあたり,この道を北進して村内中央の白山社正面に出て,明眼院の正面に至った。寺は真宗大谷派光雲寺。文政6年名古屋桜町浄念寺の境内に創設され,明治8年浄念寺と合併,同12年浄念寺から分離して現在地へ移った。明治22年大治【おおはる】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357483
最終更新日:2009-03-01




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