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塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治8年の村名諏訪郡のうち朝倉山の南西,上川中流右岸に位置する高島藩領村高は,「慶長高辻」114石余,「正保書上」134石余,「元禄郷帳」114石余,「天保郷帳」173石余,「旧高旧領」309石余家数は,享保18年の「諏訪藩主手元絵図」で72村の北東に塩沢城(朝倉山城)があるこの城は霧ケ峰山塊が南に延びて切れる先端にあり,小県【ちいさがた】・佐久への要路大門街道を見張る場所にあたる天文年間塩沢安兵衛が武田信玄に従って戦功をたて,朝倉の城を守ったと伝えられるこの城と指呼の間に湯川城があって,信玄が北信濃攻略の軍を進めたとき,湯川城は兵馬のたまり場となり,塩沢城は狼煙台として使用されたといわれている明治4年高島県を経て筑摩県に所属同6年の戸数86・人口342(県市町村合併誌)同8年米沢村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
塩沢村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」