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「塩町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

塩町(近世~近代)


江戸期~現在の町名明治9~22年は西尾を冠称江戸期は西尾城下の1町本町の東,本町通りに平行した南北の通りに面した町で,東側は西尾城総構えの土居・堀が境し,北東に...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7357505]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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塩町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は米子城下十八町の1町城下の東部,外濠の東岸に位置し,外濠の南側の出口の深浦港(中海)に近い城下東部を南北に走る山陰道に沿って南北に伸びる町人地北は茶町,南は大工町と接する町名の由来は,塩関係の同業者を集住させたことにちなむ文化元年の下札では生高35石余,物成米21石余幕末期の惣間数は119間,安政6年の調査では121間,ほかに橋西小路15間・橋東小路20間,市政所御備銀162匁元禄8年の竈数は家持41軒・借家33軒明治2年には表竈62軒・裏竈19軒,人高303人(米子市史)明治初年の戸数88・人口307(県戸口帳)江戸期には舟稼・蔵仲仕が多く居住した深浦には寛文5年創建の番所もあり,船の荷揚げ仕事で暮らす人が多かった安永年間当町の丁稚勘七が薄手のタイラギ貝を鳥取表まで運搬するのに海藻でくるむ妙案を出し,以後役所の規範となったという(樵濯集)明治21年の戸数は農業27戸・商業15戸・雑業25戸・漁業3戸の計70戸,地方税8円余・町費14円余・申合わせ費14円余を納める(米子市史)同22年米子町,昭和2年からは米子市に所属世帯数・人口は大正12年99・400,昭和30年87・376,同40年86・296,同50年72・203

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

塩町(近世~近代)
江戸期~昭和55年の町名江戸期は水戸城下下町の1町明治22年からは水戸市大字下市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の南東に位置する町人町町名は江戸期に塩問屋などで当地が繁栄したことによるという(水戸の町名)「新編常陸」によれば,裡5町目と裡6町目の間の町で,古記(水城金鑑)云として東西両側各16間・南側24間,戸数13とある宝永6年の記録によれば屋敷持7・店借11,職業は塩8・元結1・豆腐1など(東市街人姓名録一坤)「水府地理温故録」によれば,近年まで塩屋四郎左衛門・矢口吉左衛門などの塩問屋や卸売の塩屋があって繁盛したが,今は「いたや権十」だけで衰えてしまったという笠原水道の維持管理は112間1尺9寸を負担湧泉も出たらしく,そのための溜桝がある(水戸市史)天保4年の飢饉の際には,白銀町・本5~6町目・裡5町目も含めて難渋人91人(同前)昭和25年の世帯12・人口56(水戸の町名)昭和55年本町3丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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