ケータイ辞書JLogosロゴ 拾町野村(近世)


愛知県>祖父江町

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国中島郡のうち。八神村(現岐阜県羽島市)から分村して成立。なお,「天保郷帳」には八神村枝郷と肩書きされている。尾張藩領。鵜多須代官所支配。村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに221石余。天保12年の村絵図によれば,本田の概高197石余,ほかに天保4年開発の新田概高4石余,一円蔵入地,家数54,うち高持47・無高7,人数251,馬3。土地は砂質地で天水待,水損所。八幡宮南に蔵屋敷(郷倉)があった。渡船場は木曽川と佐屋川に置かれ,国秘録によれば,尾州方船入立,1人越賃6文とある。同所は尾張藩家老毛利氏(八神城主)の登城のために設置。中山道大井駅の助郷村。宝暦年間薩摩藩の手によって,佐屋川留め築流堤138間・入口請杭出し158間・入口籠猿尾35間の治水工事が行われた。鎮守は八幡社。明治4年岐阜県に所属。同20年愛知県中島郡に編入。明治13年拾町野学校を設立。同22年市制町村制施行による拾町野村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357569
最終更新日:2009-03-01




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