ケータイ辞書JLogosロゴ 篠塚駅(古代)


愛知県>小坂井町

平安期に見える駅名三河国宝飯【ほい】郡のうち「大和物語」70によると,藤原忠文が征夷大将軍として東国に下る途中死亡し,女はこの知らせを聞いたのち忠文が「篠塚の駅」で書いた文をうけとったこのため女は,「しのづかのむまやむまやとまちわびし君はむなしくなりぞしにける」と詠んで泣いたと記される10世紀中頃の紀行文「いほぬし」には「その夜こふにとまる,この折しのをかに人々泊りて」とあるが(群書18),この「しのをか」も当地を指すのであろう古代の東海道の渡津【わたむつ】駅やしかすがの渡しは,豊川の渡河がかなり困難で,10世紀にはより上流を渡河するようになり,このためこの地に宿駅が成立したのであろう現在の小坂井町篠束付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357604
最終更新日:2009-03-01




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