ケータイ辞書JLogosロゴ 島村(近世)


愛知県>稲沢市

 江戸期〜明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。東西5町17間・南北6町11間。村高は,「寛文郷帳」293石余,「天保郷帳」296石余,「旧高旧領」453石余。「寛文覚書」によれば,概高426石余,田8町余・畑21町余,家数32・人数230,馬10。「徇行記」によれば,本田は竹腰山城守采地,ほかに宝暦5年縄入の新田高2石余の蔵入地が加わった,家数71・人数325,馬1,美濃路稲葉宿の助郷村,大江川の両側に民戸が集まり,東瀬戸と西瀬戸に分かれていた。畑の多い村で茶が栽培されていた。曹洞宗亀京寺,二之宮大明神,熊野権現,神明,山伏の来長院があった。明治12年島学校設立,同17年の生徒数17ですべて男。同22年国府宮【こうのみや】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7357626
最終更新日:2009-03-01




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